何が優れたバリューメトリックたらしめるのか
プロダクトの価格設定を考えるとき、僕が最もワクワクするのは、何をバリューメトリックに設定するか考える時。そう感じるのは、バリューメトリックを考えるには、プロダクトの提供価値を突き詰めて考える必要があるからにほかならない。このプロダクトは顧客企業の時間を節約するのか? 売上に貢献するのか? 節約するのは誰のどんな業務時間か? その業務時間を節約することで、当人以外で誰がどんなメリットを受けるのか? 提供価値を考えた上で、それらに連動する指標を考えるのは、SaaS企業のみならず自社サービスを提供する側にとっては、誰しも楽しい思考実験ではないだろうか。
そして、適切なバリューメトリックを設定することは、なぜこの請求額になるのか、という問いに対して顧客の納得を得ることに繋がる。正しいバリューメトリックは、場合によっては収益化を加速するだけではなくプロダクト自体の差別化につながる。というのも、顧客が単に価格の安さだけで導入を決めることは実は稀だからだ。
ボストン・コンサルティングが最近おこなった調査によると(アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、南アフリカ、インド、中国、ブラジル、ドイツを含む18の地域で4万人以上の回答者を対象に行われた)、最安値の選択肢を選ぶ傾向がある人の割合は、カテゴリーや市場にもよるが、わずか2%から18%であることが明らかになった。つまり、顧客が気にしているのは「いくら」だけでなく、その「方法」、つまりバリューメトリックということになる。
これまで4週連続で紹介したすべての事例で、バリューメトリックに焦点があたっているのは、適切なバリューメトリックがGoToMarketに大きく影響することを示す好例だと考えられる。Gainsightはユーザーライセンスだけだったところから、ユーザーライセンス数と顧客数の組み合わせに変えた。Mixpanelは、トラッキングするイベント数だったところから、トラッキングする月間ユーザー数(MTU)に変えた。Nostoは、Nostoによって増加した顧客売上から、顧客の総売上規模に変えた(これに関しては良い打ち手だったのか疑問ではある)。先週紹介したLogikcullは、ドキュメント数からストレージ量に変えた。表には出てきていないだけで、バリューメトリックの変更の裏には、担当者の試行錯誤と紛糾する社内会議がある。
しかし実際のところ、バリューメトリックの変更は思考実験にとどまることが多く、変更に至ることはそう多くない。その理由は、適切なバリューメトリックにはいくつか条件があり、アイデアが沢山あったとしても、その多くは条件を満たしていないから。今回は、事例を交えてバリューメトリックの条件について書いてみたい。
妄想に終わるバリューメトリック
バリューメトリックは自由に考えることができる。とりわけ、価格設定が他プロダクトと依存関係になっていない、独立した新プロダクトの価格設定を考える時は、最も自由にバリューメトリックのアイデアを考えることができる。これから売り出す新プロダクトであれば、既存顧客への説明や社内の混乱といった問題が起きないためだ。バリューメトリックに関して、僕が興味深く考えるようになったのも、新しいプロダクトの価格設定を担当した時だった。
担当したプロダクトは、企業向けの税務申告SaaS。それまで、税務申告ソフトといえば基本的に会社につき1アカウントであり、基本料金しか請求しない価格設定が一般的だった。会社の大小に関わらず、赤字でも黒字でも基本的に請求金額は同じ、ということになる。そこで、せっかくの新プロダクトの立ち上げだったので、顧客価値を考えたときに、納得が得られそうで、かつユニークなバリューメトリックを設定できないか、と試しにアイデアをいくつか考えた。例えば、利益を出している法人ほど支払能力は高いはずという考えから、税務申告ソフトで計算した利益額に応じて請求額を変える。また例えば、従業員規模が大きく、経理部が複数人になれば、部下が作った申告書を上司がレビューすることも分かっていたので、基本料金を下げた上でのユーザーライセンス課金、などだ。しかし、翻って考えてみれば、税務申告ソフトの基本的な価値は、「正しく税務申告ができて納税できること」であって、利益が出たからといって、税務申告ソフトはその会社の利益に1円も貢献していない。
したがって、SMBであれば税務申告のプロセスや労力は大きく異ならないという前提で、年間固定のサブスクリプションに落ち着いた。正確には、税務申告書を作成すること自体は無料にして、肝心の納税額を表示して納税する機能を使うには、有料サブスクリプションを契約する必要があるように設定した。そこから、単なるアイデアはアイデアであり、何がバリューメトリックとしてふさわしいか、アイデアを見極める条件があると考えるようになった。
反対に機能しているバリューメトリックを挙げてみよう。
個人的に身近な例で、機能しているバリューメトリックと言えば、スマホのストレージサービス。iOS・Androidのどちらでも、写真や動画のバックアップを取るために、クラウドストレージサービスが提供されている。バリューメトリックは利用するギガバイトであり、写真の枚数でも動画の長さでもない。自分が写真を何枚もっているか、毎月どれくらいの枚数撮影しているかなんて意識している人はほとんどいない一方で、端末のストレージ容量とすでに写真で使用しているストレージを見れば、なんとなく自分が選ぶべきプランは見えてくる。そういった観点で、ギガバイト単位はバリューメトリックとして機能しているように見える。
機能するバリューメトリックと、機能していないバリューメトリック。この差を説明するのはどのような要素なのだろうか。
バリューメトリックの原則
どんな指標がバリューメトリックにふさわしいのかの条件は、実はある程度あきらかになっている。ここでは、Mixpanelのプラナヴ・カシャップ氏やアジット・グーマン氏の主張するバリューメトリックの6箇条を説明したい。
顧客価値との結びつき度合い:その指標は、顧客への提供価値とどの程度結びついているのか? 前述の例で言えば、税務申告ソフトは顧客の売上も利益も改善することには何も貢献しない。したがって、顧客の利益との結びつきの度合いはほとんど0と言っていいだろう。仮に「利用することで節税できる税務申告ソフト」であったら、節税できた金額との結びつきはとても強いはずだ。そういったコンセプトであれば、節税金額に対して◯%という料金設定は、一つのアイデアだったかもしれない。
顧客の感じる価値とフィットしているか:その指標は、価値と合致すると顧客は認識するだろうか?Mixpanelの事例で言えば、イベント課金は、アプリ内で特定のイベントがどれくらい起きているか把握できるという意味では顧客に価値を提供できていたものの、新興のゲーム企業のような顧客の場合、計測するイベント数が膨大になる一方で、お金を払うユーザーは少数に偏っている。したがって、すべてのイベントが一律同じ単価で数えられることに納得しにくかった。
計測可能か:その指標は、プロダクト上で簡単に測ることができるか? 例えば、従業員の退職率を下げることができるプロダクトがあったとして、どれだけの退職を実際に予防することができたか、簡単に計測できるだろうか。わざわざ顧客に申告してもらわずとも、顧客企業の退職率をプロダクト上で把握できて、プロダクトによって改善したといえる部分を簡単に切り分けられるだろうか。そうではない場合、商談や契約更新のたびに、顧客に情報提供をしてもらわなければならないし、契約数が順調に積み上がっていけばいくほど、雪だるま式に業務は膨れてしまう。
予測可能か:どれだけの請求額になりそうか、顧客が簡単に見積もれる指標だろうか? 言い換えれば、その指標は顧客が日常的に把握している指標だろうか? これは新規契約でも、契約継続の観点でも重要になる。どれくらいの金額になるか直感的に分からないバリューメトリックの場合、料金表を見ても安心してフリートライアルに進むことが難しい。価格が非公開で、商談を必ず経るような場合でも、顧客が普段から把握していない指標では、「一度社に持ち帰って調べてからお伝えします」と商談のリードタイムが伸びてしまう。もっと悪いことに、年間で予期しないボラティリティがあるような指標の場合、ミッドマーケットやエンタープライズ顧客の年間予算を抑えずらくしてしまう。同様に、契約途中に予算をオーバーするようなサービスは、追加で予算を取らなければならず、担当者の心臓に悪い。そういった観点で見ると、セールスフォースをはじめとした伝統的なCRMやHRといった領域でのSaaSが、ユーザーライセンス課金(シート課金)であることは理にかなっている。セールスマネージャーが最も基本的に把握しているのは、自分のチームの営業担当者の人数であるし、今後どれくらいの営業担当者を採用できて増やせるのかは、営業の目標達成に不可欠な情報である。もちろん、営業担当者が途中退職することはあっても、勝手に増えることはないので、ボラティリティも低い。OutreachやGongといったセールステックSaaSが、セールスフォースにならったかのようにユーザーライセンス課金なのは、顧客が慣れているから、という理由もありそうだが、購買担当者にとって営業人数が予測可能な指標という理由も多分にあるだろう。