Zoom:オプションで複雑化した料金表の大掃除

GoToMeeting、Zoom、Docusignの価格に関わったヤン・パスターナーク氏 の経験談 第二回
Yushi Sawa / poe 2024.11.12
読者限定

前回に引き続き、今週もPricing ManagerとしてSaaS企業を渡り歩くヤン・パスターナーク氏の経験談から。今回取り上げるのはZoom。前回GoToMeetingで活躍したヤン氏は、またしても同じビデオ会議サービスを提供するZoom Video Communications、通称Zoomに2021年に入社する。時はコロナの真っ最中であり、Zoomの株価もうなぎのぼり。企業の株価の割高・割安を評価するための指標の1つに、株価売上高倍率(時価総額を年間売上高で割った率)があるが、Zoomは2020年10月に124倍を記録する。現在最も高いPalantirが26.6倍であることを考えると、当時がSaaS銘柄のバブル抜きだったとはいえ、いかにZoomが期待されていたのかよく分かる。

ヤン氏はZoomにて、GoToMeetingとはまた異なる課題に取り組むことになる。それは、作りすぎたオプション、広げすぎたプラン体系を、どのようにしてシンプルな価格表にまとめるか、という課題だった。開発した機能をプランに入れるか、オプションとしてリリースするかの判断は、ソフトウェア企業が日常的に迫られる意思決定の1つだ。プランとしてリリースすれば、広く使ってもらえる可能性が高い一方で、オプションとしてリリースすれば、機能をリリースしたことによる金銭的なリターンが明確で分かりやすいし、実際オプションのほうがリターンが大きいこともある。しかし特にZoomのような、オンラインで購入されることも多いSaaSにおいては料金表のシンプルさを保つことも必要になる。SaaSのマネタイズにおいて王道な課題に対して、ヤン氏はどのように取り組んだのであろうか。

彼女に会うための電車通いから生まれたZoom

Zoomのアイデアは、創業者のエリック・ユアン氏が中国にいた頃に遡る。 彼が最初にビデオ会議のアイデアを思いついたのは、1987年、中国の大学1年生のとき。 ユアン氏とガールフレンド(現在の妻)は別々の都市に住んでおり、彼女に会うためには片道10時間の列車に乗らなければならなかった。ユアン氏は、そのような長旅をせずにガールフレンドに会う方法を空想しながら電車に乗っていた。 

いつか、スマートデバイスがあれば、ワンクリックで君と話したり、会ったりできるんだ。 そして毎日、そのことを考えていました
https://www.cnbc.com/2019/08/21/zoom-founder-left-job-because-he-wasnt-happy-became-billionaire.html
Zoom創業者 エリック・ユアン氏

Zoom創業者 エリック・ユアン氏

そして1994年、ユアン氏は大学を卒業したばかりで、日本で数ヶ月働いていた時期にたまたまビル・ゲイツ氏が講演のために来日した。 当時、ゲイツ氏は30代後半で、ウィンドウズ95のリリースを1年後に控えており、来たるべき新製品のためにインターネットの将来性について各地で講演していた。ゲイツ氏からいたく刺激を受けたユアン氏は、シリコンバレーで働き、インターネット産業に関わることが自分の将来につながることを悟り、アメリカに移り住むことを決意する。申請9回目にしてようやくビザを取得して渡米したとき、ユアン氏は英語は話せないもののプログラミングは知っていたので、ビデオ会議ソフトウェア会社のWebExにエンジニアとして入社する。その後10年間WebExに心血を注いだあと、WebExはシスコに32億ドルで買収され、ユアン氏はCiscoのエンジニアリング担当副社長となる。

数千万円の報酬を得られるようになったユアン氏だったが、Ciscoに買収されて2-3年経ったとき、Webexが本当に顧客を満足させられる製品ではなくなっていることに気づく。

毎日、目が覚めてもあまり幸せではなかった。 オフィスに行って仕事をしたくなかったくらいです。Ciscoでの最初の2、3年は「素晴らしい」ものでした。ただ、Cisco Webexの顧客と話をするとき、「喜んでいる顧客を一人も見かけない」ことに気づいたのです。プロダクトが十分なスピードで進化しておらず、顧客にとって使うのが面倒なソフトウェアになっていました。実際、Ciscoはおよそ20年前に WebEx のために書いたのと同じバグだらけのコードをまだ使用していました
https://www.cnbc.com/2019/08/21/zoom-founder-left-job-because-he-wasnt-happy-became-billionaire.html

ユアン氏は、ビデオ会議に関する技術特許を取得しており、スマートフォンとタブレットの進化によって、ビデオ会議がこれまで以上に身近なものになると感じ、自分がやりたいように製品を作るためには、起業するしかないと決意。中国にいた頃、彼女に会いに行くために列車で旅したことを原点に、Ciscoの同僚35人とともにZoomを設立する。

2011年にZoom Video Communicationsを設立して、2年間の開発を経て2013年にZoomをリリース。よくZoomはネットワーク・エフェクトによって爆発的に成長したと言われるが、もちろんZoomのGTMはそれだけではなく、堅実なパートナーシップによっても築かれている。2013年にはパートナーシップ「Works with Zoom」をスタート。Logitech 、Vaddio、InFocusといったハードウェアメーカーと提携することに成功して、HDカメラ、ヘッドセット、スピーカーと統合されたビデオ会議SaaSとして、大企業の会議室に入り込む橋頭堡を確立。Voxboneと連携して電話番号をダイヤルすることでZoom会議に参加できるようにしたり、Salesforce上からZoomを開始できるような拡張、果ては病院内のインフラとも連携して、初の遠隔診療用のビデオ会議SaaSとしてのポジションを取るなど、爆発的なユーザー増加を糧にパートナーを増やし、着実に顧客接点を増やしていく。パートナーシップだけではなく、次々に製品も増やしている。物理的な会議室を繋ぐ「Zoom Rooms」1万人が参加できる「Zoom Video Webinars」、営業電話や内線代わりに使える「Zoom Phone」など、企業内外のテレコミュニケーションをZoom社に置き換えるべく、製品をリリース。最終的には、コロナ期に突入することでアクティブユーザーが約1,000万人から約2億人に増加した。

しかし急激にユーザーが増えれば、反対の立場を取りたくなるのが人間の性。当然、Zoomはいわゆる一般的なネットワーク・エフェクトをもっておらず、他のビデオ会議SaaSに代替されやすいとも揶揄されている。Zoomは、ユーザー間の「スムーズ」な通信を提供するよう設計されており、たとえ相手がZoomアカウントを持っていなくてもリンクを送るだけで他者とビデオ通話を開始できる。これがパンデミック中に人気を急上昇させた理由である一方で、この特性によりZoomはネットワーク効果(同じプラットフォームのユーザーが増えることで価値が上がる効果)を持たない。かつて栄光を誇ったSkypeも同様に廃れたことを例に、Zoomのネットワークに留まらせる価値をもたない限り、Zoomは他のビデオ会議サービスに代替される可能性が高いとも言われている

ただZoomもそうした声を知ってか知らずか、企業内のワークフローをZoom内で行わせるようにと、2023年には「Zoom Workplace」を発表。チャット、メール、カレンダー、ドキュメントまでをZoom内で行えるようになった。Zoomの「Workplace化」自体がどれくらい進捗しているかは、利用率などのデータが非公開のため分からないものの、アクティブユーザー数は2020年の約2億人から、2024年現在には3億人以上と増加を続けており、引き続きユーザー基盤は盤石なものとなっている。

11つのオプションで複雑化した料金表

ヤン氏がZoomに入社するのは2021年(ヤン氏の経歴に関してはGoToMeeting編)。ヤン氏がかつて在籍したGoToMeetingは、ビデオ会議SaaSの先駆者の一人であったものの、ビデオ会議やスクリーン共有といったコア機能が、競合他社によって一気にコモディティ化し、プレミアムな価格を維持できなくなる。ヤン氏はその撤退戦を、価格という面から支援したわけだが、Zoomはまさしくコモディティ化させた張本人の一人。同じビデオ会議SaaSでも一転、追われる立場から、追う立場の企業への転職にする(一応EC大手のCoupangを挟んでの転職)。

そんなZoomでの課題は、一言で言えば価格表が複雑になりすぎたことで、ユーザーの課金転換率が下がったこと。2014年から2020年にかけて、Zoomのプランは3つから5つへ増え、オプションは11つにまで増加していた。後者のオプションに関して言えば、オプションとしてリリースすることは、単体の値付けさえすればよいため、市場への投入スピードが早い。遭遇したニーズに対して迅速に対応して、マネタイズできるため、競合他社に先んじることができたものの、多すぎるオプションは大きな複雑性を生み出すことになる。

基本プランは5つまで増加

基本プランは5つまで増加

11つまで増加したオプション

11つまで増加したオプション

ヤン氏によれば、オプションの増加がもたらした複雑性は、「オンラインの課金転換率の低下」「Zoom社内の管理コストの増加」という2つの弊害を生んだと言う。

アドオンによる新機能の追加に重点を置いた結果、アドオンはウェブサイト上だけでも11を超え、さらに多くのアドオンが営業を通じて売られていました。顧客がプランやアドオン全体を理解することが困難になり、顧客は総所有コストを決定したり、異なるプランを比較したりすることが難しくなりました。結果、オンラインでの転換率が低下しました。さらにZoom社内で管理するSKU(在庫管理単位)の数が1000を超え、管理が困難になったことで、ポートフォリオ管理のコストと複雑性が増加しました。
https://www.amazon.co.jp/Price-Scale-Practical-Pricing-Startup/dp/B092CB6147

料金表の複雑化が課金転換率の低下を招いたことは、理解しやすい。選択肢が多すぎると決定する(選ぶ)ことを避けてしまう心理現象は、「決定回避の法則」と言われる。実際にオプションを出す側としての心情としては、しかしオプションは1年にいくつもリリースするのではなく、やっと見つけたニーズに対して1つ1つリリースしている。1つ増やしたところでいきなり転換率が下がるのではなく、徐々に徐々に下がっていると思われるため、意識しない限り回避することは難しい。

SKUが1000を超えた、という点に関して補足すると、これはおそらく1つのプランやアドオンでも、様々な事情で異なる価格やバージョンが存在していたということ。Zoomに限らず、SaaS企業は1つのプランであっても、パートナーを通じた販売数やキックバックを管理するために、販売パートナーごとにプランのバージョンを作成したり卸値を変える。また、価格改定をする際に既存顧客を優遇して改定しない(Grandfather pricing)場合は、改定前のプラン体系も管理し続けることになる。また、プランのなかに含まれる特定機能が不要だから値下げしろ、と顧客に要求され続ければ、非公開にそうしたプランを作成することもある。こうした事情から、表面的には3プランしかないSaaS企業であっても、実は社内で管理しているプランは100を超える、といったこともザラにある。ましてやZoomの場合、5つのプランに加えて、公開しているオプションだけでも11つもあったため、SKUが1,000を超えたのも仕方ない。

シンプル化のための3ステップ

Zoomの2021年年間売上は約4000億円と巨大。価格体系見直しのインパクトも、良くも悪くも大きくなる。ヤン氏は「専門チームの設立」「MaxDiff法とコンジョイント分析をもちいた洞察」「反復的なテスト」の3つのステップで仕事に取り掛かる。

1つ目は「Tiger Team」と呼ばれる、部門横断的な価格設定専門チームを設立することだった。Tiger Teamとはもともと、アポロ13号のミッション中の故障に対処するべく、NASAが各部門のスペシャリストを集めて結成したチームの呼称であり、チームメンバーはのちに、宇宙飛行士たちを無事帰還させたことを称されて、大統領自由勲章を叙されている。ZoomにおけるTiger Teamの目的は、収益性の低いSKUを削除することで価格体系を合理化し、全部門が足並みを揃えて新しい価格体系をリリースすることだった。価格変更は、セールスやカスタマーサクセスだけでなく、プロダクトチーム、エンジニアチーム、経理から法務まで、社内のあらゆるチームに影響を与えるため、密度の濃いコミュニケーションとコラボレーションが不可欠になる。例えば、セールスやカスタマーサクセスに参加してもらうのは、検討している価格改定の内容が顧客からどう受け止められるか意見を募るだけでなく、新しい価格体系を効果的に顧客に展開するための準備を議論して進めてもらう必要があるからだ。新しい価格体系を「どのような表現で伝えるか」「顧客セグメントごとに改定の適用をどのように変えるか」「新しい価格体系の提案を、SFAやMAツールにどう組み込むか」など、卑近な例で言えばSalesforceのレポート1つとっても、提案するプラン体系が変われば、そして中身がダイナミックに変わるほどに、一から作り直す必要がある。

ZoomのTiger Teamは、すべての部署が足並みを揃え、変更について周知徹底されるように週単位でミーティングを開催。プロジェクト進捗の監督のために、専任のプロジェクトマネージャーを設けて、意思決定のスピードを保った。また議論の紛糾によってプロジェクトの勢いを殺さないように、最終的な意思決定を行うミーティングと、それ以外のミーティングを明確に区別した。

この記事は無料で続きを読めます

続きは、3968文字あります。
  • 価格を下げたいCEO
  • まとめ
  • ご購読ありがとうございます🚀

すでに登録された方はこちら

読者限定
DocuSign:コモディティ化危機一髪
読者限定
百戦錬磨のヤン・パスターナック氏 :GoToMeeting編
読者限定
ポルシェ・カイエン:華麗なる大ヒットの影で語られない歴史
読者限定
Chili Piper:価格最適化へのホットな道のり
読者限定
何が優れたバリューメトリックたらしめるのか
読者限定
訴訟支援SaaS Logikcull:初期価格設定の失敗とリベンジマッ...
読者限定
Nosto:フィンランドAI SaaSの雄 完全従量課金からの進化
読者限定
プロダクト分析SaaSの先駆者Mixpanel 復活にむけた価格改定