DocuSign:コモディティ化危機一髪

GoToMeeting、Zoom、Docusignの価格に関わったヤン・パスターナーク氏 の経験談 最終回
Yushi Sawa / poe 2024.11.26
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前回はアンケートを募りましたが、まだ回答数が7件で、正直かなり寂しいです!
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あなたの会社ではどのように契約を取り交わしているだろうか。印鑑を使っている場合もあるだろうが、電子署名を見たこともない、という方は少数だろう。Pricing ManagerとしてSaaS企業を渡り歩くヤン・パスターナーク氏の経験談の最終回は、そんな電子署名の業界における古参DocuSignを取り上げる。ヤン氏は2022年ZoomからDocuSignに転職。”VP of Services and Pricing Strategy”という役職にて、ヤン氏がある種得意とする「ソフトウェアのコモディティ化」という課題にまたしても挑戦することになる。当時売上は4億6900万ドル(約700億円)とすでに巨大SaaS企業だったDocuSignは、何をコモディティ化され、どのような手段を講じたのだろうか。早速見てみよう。

住宅ローン組成から発展したDocuSign

DocuSignは、創業者がその前に立ち上げたNetUPDATE社に起源がある。創業者のトム・ゴンザー氏は1998年に住宅ローン組成のためのソフトウェア企業 NetUPDATE社を立ち上げる。NetUpdate社は、簡単に言えば住宅ローンの手続きを効率化するソフトウェアを、金融機関向けに販売する企業。住宅ローンを申し込む際に必要な書類の作成や管理を、インターネットを通じて迅速かつ簡単に行えるようにするシステムを開発していた。

当時NetUPDATEの開発していたサービスの1つが、ローン担当者と借り手が相互にやりとりできるポータルサイト。必要なローン書類を共有して、借り手がレビューして手続きをするという、異なる2者のコラボレーションに適したポータルだった。しかし文書を管理することはできても、実際に法的効力をもつ合意をポータル上に実現するように実装することが難しかった。そこで、驚くことにNetUPDATEでは当初、実際に社員が書類を運ぶという手段をとっていた。

住宅ローンプロセスには大量の書類があり、また、厄介な規制もたくさんあります。そして、住宅ローンと並行するプロセスである不動産には、より深刻な書類の問題と、より迅速な対応が求められることが判明しました。つまり、私たちは「一晩では遅すぎる」という表現をよく使っていました。不動産業者として私が契約書に署名してもらう必要がある場合、私は車に乗って街を横断します。2人の署名が必要なら、車に乗って街を横断し、もう1人の署名をもらいます。なぜなら、この取引を成立させなければならないからです。ですから、私は決してFedExは使いませんでした。遅すぎるからです。

とはいえ、ポータルサイト上での電子的な署名を実現するため、NetUPDATEはDocuTouchという特許技術をもつソフトウェア企業を買収する。当然ながら、当時の電子署名のソリューションは今日ほど洗練されておらず、署名を依頼する方、署名する方の双方でソフトウェアのインストールが必要だった。書類を送付する側は、PCに電子署名ソフトウェアをインストールして、証明書を取得する。2つを使ってファイルを暗号化・署名して、相手方にファイルをメールで送る。受け取った側も、PCに電子署名ソフトウェアをインストール、証明書を取得して署名する。懐かしくも奥ゆかしいプロセスが当時は必要であり、ゴンザー氏はこれに歯がゆい思いを抱き始める。インターネットでは事実上世界中のどんなユーザーとも繋がっているにも関わらず、なぜ署名だけこのような方法を取らなければならないのか。取引の当事者がデジタル証明書やファイルを管理するのではなく、ファイルをサーバーに保存してブラウザで閲覧し、編集や署名をすればいいのでは、と考え始める。

私たちは世界中の誰とも最大で250ミリ秒しか離れていないという考えに、私はいつも魅了されていました。 "ハッ "とさせられたのは、インターネット上でファイルを移動させるのではなく、サーバーに保存しておき、逆に人々がファイルを見に来るようにしてはどうだろうか、ということだった。 ウェブブラウザーを通じて、その体験のすべてを提供することができる。 〜紙を封筒に押し込み、それを飛行機に貼り付け、80ドルで国中を飛び回り、別の人に走り書きをしてもらい、それをまた飛行機で送ってもらい、そのすべてをスキャンしてデータベースに入れるという、走り回る人々は、明らかに破綻していました。
https://www.saasmag.com/how-tom-gonser-created-a-document-signing-platform-and-built-it-into-a-6-8-billion-saas-giant/

このアイデアをもとに、ゴンザー氏は2003年NetUPDATE社の従業員3人とともにDocuSignを創業する。初期の顧客には、やはり取引において署名が多い不動産や金融業界を中心に顧客を集めていくが、ゴンザー氏の目線から見ると、セールス&マーケティング面では特に大きな転換点が2つ、2005年と2007年に起きたという。

1つ目の2005年の転換点は、不動産ブローカー向けソフトウェアとの提携。不動産業界は非常に細分化されており、独立した小規模事業主が多かったゆえに、まだ無名だったDocuSignは採用されやすかった。しかし不動産取引のプロセスで最も重要な部分である、署名というプロセスを置き換えるにあたっては、知名度以上に、顧客に法的な効力があることを納得してもらった上でメリットを説明する長いリードタイムが必要だった。そこで2005年、DocuSignは北米で最大の不動産ブローカー向けソフトウェアと提携をもちかけ、これに成功する。取引管理、電子フォーム、電子署名などのソリューションを提供する同社と提携し、ある日から、印刷ボタンのすぐ隣に「DocuSignで送信する」のボタンが表示されるようになった。DocuSignはこの提携によって米国の住宅用不動産ブローカーの約60%にアクセスできるようになり、不動産セグメントにおいて大きな進捗を得ることになる。かなり大きな提携話だが、この成功をもとに、適切なプラットフォームと提携して一気に流通問題を改善しようという一手は、DocuSignのGTM戦略上の1つのコアとなる。

この提携は私たちの戦略を大きく変えました。ひとつは、"契約を実現する必要がある大規模なユーザーベースを持つプラットフォームは、世の中にたくさんある "と考えたことです。 このパートナーシップ戦略は、DocuSignの非常に核となる部分となりました。
https://www.madrona.com/how-to-choose-your-early-customers-with-an-eye-to-the-future-with-docusign-founder-tom-gonser-founded-and-funded-episode-4/

2番目の転換点は2007年のことで、DocuSignにおけるSaaSのセールス・プロセスを具体化することだった。2003年創業時からSMBだけでなくエンタープライズ顧客にもアプローチをかけていたDocuSignだったが、まだSaaSのプレイブックが確立していない2000年代において、どのセグメントにどのような人材を当ててて、どのようなアプローチして獲得すればよいか、同社における「レシピ」が確立しきれていなかった。特にヨーロッパにビジネスを拡大するにあたっては、同じ時期に創業し、拡大した先達であるLinkedIn社に教えを請い、セールス・プロセスの改善に努める。特にDocuSignの場合、エンタープライズが使うには世界各地の言語にローカライズするだけではなく、各国の法的枠組みにDocuSignが適合するようにプロダクト基盤を継続的に変更しなければならなかった。単にセールスプロセスを改善するだけではなく、プロダクトが対応できる地域の拡大に足並みを揃えて、アプローチできるエンタープライズ企業を選ばなければいけなかったことが、DocuSign特有の辛さだったと言える。

結局のところ、大手企業、大手保険会社、大手石油会社、あるいはマイクロソフトなど、私はこの製品を世界中で使いたいのです。特定の地域だけで使いたいわけではありません。もし半分ほどの国々で使えないと言われたら、私であればDocuSignを使わないでしょう。紙を使います。ですから、私たちは、異なる規制地域に準拠するために、基盤の一部を修正する必要がありましたし、それは現在も続いています。そうした点では私達はVisaと非常に似ています。Visaが登場する前は、世界のさまざまな地域に現金を持ち運ばなければなりませんでした。Visaは、各地域の金融インフラとつながるネットワークを構築しました。それはVisaにとって大変な作業でしたが、最終的に、Visaカードは世界中のどこでも使えるようになりましたよね。
https://www.madrona.com/how-to-choose-your-early-customers-with-an-eye-to-the-future-with-docusign-founder-tom-gonser-founded-and-funded-episode-4/
2005年のLP

2005年のLP

こうした転換点を経て、DocuSignは電子署名ソフトウェアにおける主要プレイヤーとしての地位を確立していく。しかし、それを阻むプレイヤーが2010年前後になって現れる。それが無制限で署名依頼ができる課金モデルのSaaS企業の出現である。DocuSignが創業以来、処理された電子署名の量に基づいて請求する課金モデルだったのに対して、それを定額で安く提供しようというプレイヤーが大量に現れた。かつヤン氏が在籍したGoToMeetingがjoin.meと遭遇したように、DocuSignも中核機能のコモディティという危機に直面したのである。

DocuSignの直面した課題たち

創業以来DocuSignの課金モデルは、基本料金に加えて、顧客が利用した電子署名の回数に基づいて請求する従量課金制。この課金モデルは、製品が提供する価値と非常に整合性のあるもの。署名ひとつひとつが書類の郵送にかかる経費の削減につながり、時間も節約できる。エンタープライズ顧客が国境をまたがって書類をやり取りすることを考えると、書類1つの合意までに数千円はざらにかかる上、売上が上がるにつれ雪だるま式にコストと手間は増える。更に、DocuSignの初期顧客が金融および不動産業界の顧客であり、彼らのほぼすべての取引において署名が必要だったことを考えると、使用量ベースの料金設定は、当時としては正しい選択だった。しかし、2010年前後になって、DocuSignは2つの課題に直面する。

1つが電子署名のコモディティ化である。一部を挙げるだけでも、2011年にHelloSign (のちにDropbox Sign)SignNow、2013年にDocHub、2014年にPandaDocと、相次いで新しい電子署名SaaSが立ち上がる。2011年には、のちにSaaStrを立ち上げる、Jason Lemkin氏が創業したEchoSignがAdobeに売却され、Adobe Acrobatと統合、エンタープライズ領域でもAdobe Signという強敵が現れる。特にSignNow・DocHub・PandaDocの三社はソフトウェアを使う人数分だけ請求するシート課金を採用した。これにより、市場が飽和しただけでなく、署名1件あたりの価値が大幅に下落し、DocuSignは利用ベースの課金モデルで顧客を説得して、収益を成長させ続けることが難しくなってしまった。

SignNowの価格表

SignNowの価格表

DocHubの価格表

DocHubの価格表

PandaDocの価格表

PandaDocの価格表

2つ目に、既存顧客がDocuSignを全面的に採用を済ませた結果、既存顧客からの収益向上が頭打ちになったこと。DocuSignは初期の初期から、顧客がすでに採用しているソフトウェアとの統合を重視して開発しており、2004年のLP時点でも、連携可能なソフトウェアの長いリストを見ることができる。そのおかげもあって、多くの顧客がDocuSignを業務に完全に統合することができ、社内での利用も速やかに広がった結果、既存顧客の利用回数の天井に、意外にも早く当たってしまうことになった。

創業2年目で互換性があるソフトウェア一覧

創業2年目で互換性があるソフトウェア一覧

さて、ここでヤン氏の出番になる。ヤン氏はGoToMeetingでの経験から、ソフトウェアにおけるコア機能のコモディティ化にはある程度持論をまとめている。ヤン氏によると、ソフトウェアはコモディティ化に向かうにあたって4つの段階に分けられる。

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