訴訟支援SaaS Logikcull:初期価格設定の失敗とリベンジマッチ

アンディ・ウィルソン氏(CEO)の失敗と学びに関する考察
Yushi Sawa / poe 2024.10.08
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今回分析するのは、Logikcullという法律業界のSaaS企業。同社は「eDiscovery Software」という分野にカテゴライズされており、エンタープライズ企業や大手法律事務所が裁判に際して大量の証拠データを簡単に検索、整備できるように支援するSaaS企業。2004年の創業から長年ブートストラップ企業(自己資金での立ち上げ、資金調達なしで成長する企業)として有名だったが、2015年から立て続けに資金調達を行いARRを約35億円まで成長させたあと、他企業と一緒に約1,500億円で買収されている

今回のニュースレターでLogikcullを対象としたのは、サービス立ち上げ当初、価格設定を一度失敗しているため。前回のNostoと同様、Logikcullも従量課金を主体とした企業という点だけでも調査のしがいがあるが、1回目の失敗を活かして価格改定を行っており、その経験を公開しているという点でも非常に珍しい。Logikcullのプライシングを創業時から一貫して検討したCEOのアンディ・ウィルソン氏は、どのような競争環境から当初の価格設定を選び、どのような学びを得たのだろうか。

Logikcull創業:eディスカバリー導入の大波

Logikcullの創業、プロダクト、そして価格設計を理解するにあたっては、米国の民事訴訟におけるディスカバリー制度、およびeディスカバリー制度について理解する必要がある。米国では以前から民事訴訟の原告と被告が互いにあらゆる証拠の開示を求めることができる開示手続きの制度(=ディスカバリー制度)が厳格に運用されてきた。ディスカバリー制度は非常に強制力が強く、その対象範囲は広範囲にわたる。企業秘密であっても、原則として提出が求められ、訴訟内容によっては過去数十年分のデータの提出を要求されることもある。

ディスカバリー制度は、証拠の完全な透明性を確保し、双方が訴訟に関連する全ての証拠にアクセスできるようにすることを目的としている。裁判の公正性を高め、事実に基づく解決を促進する重要な役割を果たしてきたが、2000年代になると、電子データの爆発的な増加によって証拠の収集・管理・分析がより複雑化したため、民事訴訟にかけられる費用が倍増することとなった。一例だが、当時法律事務所や大企業から委託されていたある業者の場合、メールなどの電子データの印刷・整理する場合、1ページあたり0.25ドルで受注していた。1GB=3万ページのメールと仮定すると、1GBで7,500ドル(≒110万円)になり、時に証拠が何十GBかそれ以上にもなる大型訴訟では、証拠を提出するだけでも相当の費用になっていた。2000年の統計によると、何年にもわたって行われるような大型訴訟の場合、平均訴訟費用は約98億円で、ディスカバリー制度への対応コストはその60-80%を占めていたという。

例えば、ビル・ゲイツ率いるマイクロソフトが直面した独占禁止法訴訟(1998年から2001年)では、ディスカバリー制度によって、膨大な電子メールや内部資料の開示が求められ、証拠の収集と管理の複雑さが顕著に現れた。マイクロソフトは膨大な電子データを印刷して、分類して、扱う必要があり、すみやかに開示できるよう整備することにかなり多くの工数と費用を投入する必要があった。

Logikcullを共同創業することになるアンディ・ウィルソン氏とシェン・ヤン氏は、まさしくそうした現場を、印刷会社でのアルバイト中に目撃することになる。当時マイクロソフトが独占禁止法訴訟に際して、ディスカバリー制度に対応するために、何十万通ものEメールやPDFを印刷していたが、まさにその印刷現場でアンディ・ウィルソン氏とシェン・ヤン氏はアルバイトをしていた。

私たちは何十万通ものEメールを紙に印刷し、大規模な法務チームが手作業で各ページをレビューできるようにしていました。 私はマイクロソフトの反トラスト法訴訟に携わっていたが、あるときビル・ゲイツのメールを数週間プリントアウトしていた。彼の話がとても長かったせいだ。長いこと働くにつれて、私はこの問題を解決するもっと良い方法を見つける必要があると思った。つまり、なぜ電子文書を紙に「印刷」するのか? PDFやTIFとしてそのまま扱えばいいじゃないか。
https://signalvnoise.com/posts/2385-bootstrapped-profitable-proud-logik

それから程なくして、Office文書や業務データ、電子メール、チャット履歴などの証拠を、電子ファイルの状態で検索・閲覧できる制度の必要性が議論され始め、2006年にはeディスカバリーが正式に導入される。印刷会社で目撃した非効率さと、制度の変化を機会と捉えたウィルソン氏は、一緒にアルバイトをしたシェン・ヤン氏をCTOとして、2004年にLogikcullを設立した。創業当時のサービスは、大規模訴訟向けの大規模データ処理サービス。訴訟や調査のために大手銀行や大手法律事務所が収集した膨大な量の電子データを、 ハードディスクで送ってもらい、検索可能な状態にした上で、送り返すというものだった。ウィルソン氏率いるLogikcullは、eディスカバリー制度という新しい市場の成長に加えて、内製したプライベートクラウドとソフトウェアのおかげもあって競合より75%低い価格、24時間以内に納品できるスピードでサービス提供することができ、あっというまに急成長していく。2009年にはLogikcullは従業員数はわずか8名にも関わらず、売上は440万ドル(約6.5億円)にまで伸ばし300万ドルの利益を上げていた。

左からCTOシェン・ヤン氏  CEOアンディ・ウィルソン氏 当時の社名はLogik

左からCTOシェン・ヤン氏  CEOアンディ・ウィルソン氏 当時の社名はLogik

サブプライム危機からのSaaS転向

成長をとげたLogikcullだったが、2009年のサブプライム危機に際して、サービスを考え直すことになる。ほとんどの顧客が大手企業や大手法律事務所だったがゆえに、サブプライム危機に影響されてしまい、2009年はほとんど発注が無くなってしまった。当時のLogikcullのサービスは、顧客から渡されたデータを検索可能な状態に整理して納品する受託形式だったため、受注しなければ売上も無い。しかしウィルソン氏は、その不況のさなかに、自社が提供しているサービスは本質的にはソフトウェアビジネスであることに気づき、SaaS企業への転換を決めた。

ビジネスは主にサービスでしたが、私たちは本質的にはハードドライブ上のデータを処理するソフトウェアを構築していました。そして、私たちは処理したデータをパッケージ化して、ハードドライブに保存して顧客に送り返すのです。不況の中で気づいたのは、これは本来デジタル処理で完結すべきことを人間がやっていたということです。本来ソフトウェアをセルフサービスで利用できるように構築し、ドラッグ&ドロップで簡単に操作できるようにし、クラウドに配置し、プロセス全体を自動化できるはずだと。もし私たちがそれをやらなかったとしても、誰かがやっていたでしょう。
https://www.logikcull.com/blog/what-drives-discovery-pricing

加えてeディスカバリーで扱うデータが指数関数的に増えていたことも、SaaSに転換する大きな理由だった。小さな訴訟案件でも、何万、何十万というメールやSlackのメッセージ、ビデオファイルを調べなければならず、SaaSが増えるにしたがってeディスカバリーで扱うデータの種類も増える。こうして、企業の法務チーム、法律事務所が、大量のデータを簡単にアップロードでき、すぐさま検索可能な状態にデータ処理を行い、eディスカバリーへの対応することができるLogikcullというSaaSが立ち上がることになる。

新生Logikcull:はじめての価格設定と落とし穴

さて、受託サービスからSaaSという大きな転換を迎えたLogikcullだが、ウィルソン氏は最初の価格設定に頭を悩ませる。eディスカバリー市場は、法外な料金を請求する旧態依然としたレガシーサービス企業が数多く存在しており、ウィルソン氏はそうした過去のサービス事業のような価格設定はなるべく避けたかった。

あらゆるものにデータ料金がかかります。本当に予測不可能で、さまざまな形で爆発的に膨れ上がる可能性があります。例えば、100GBのデータを精査する必要がある場合、レガシーなeディスカバリープロバイダーを利用すると、インデックス化とレビュー用投稿だけで10万ドル以上かかるでしょう。そして、おそらく1週間以上はかかるでしょう。
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価格設定を考えるにあたって、ウィルソン氏が最初に行ったことは、価格設定によって解決したい自社のビジネス上の課題を明確にすることだった。Logikcullの場合、1つ目の課題は「収益のばらつき」という問題だった。それまでのLogikcullは受託形式だったゆえに、継続的に収益が生まれず、案件の大小によっても変わるため、時期や取引先によって収益がばらついてしまっていた。2つ目の課題は、法律業界にどうLogikcullを浸透させるかであった。ウィルソン氏の長年の経験から、法律業界の慣性と、新しいプロダクトへの弁護士たちの消極的な姿勢を克服するには、優れた製品を持っているというだけでは十分ではなく、破格の価格設定で立ち上げる必要があると考えた。

こうした課題を解決するため、ウィルソン氏が最初の価格設定を、MailChimpを参考にシンプルなサブスクリプションモデルにした。MailChimpは、アトランタを拠点とするこのメールマーケティングSaaSで、顧客がMailChimpを使ってメールを送信する取引先の数に応じてサブスクリプション価格を設定している。ウィルソン氏は同じモデルを試すことにし、顧客がLogikcull内にホスティングしたいドキュメントの数に応じて料金を請求する価格設定とした。ドキュメント単位にしたのは、従来の委託企業が基本単位としていたギガバイト単位ではなく、ドキュメント単位の方が弁護士にとって理解しやすいのではないかと考えたからだ。したがって例えば、1〜1,000つのドキュメントを保存したい場合には、月あたり定額130ドルで年間1,560ドルといった料金になるように設計した。もしドキュメントが1000を超えるようならば、一つ上のプランに繰り上がる。

MailChimpの価格表 送信する連絡先数で、月額料金が決まる

MailChimpの価格表 送信する連絡先数で、月額料金が決まる

定額料金の金額に関しては、従来企業と比較して単価が破格になるように設定した。Logikcullの料金を、保存できるドキュメント数で割るとドキュメントあたり0.13ドルになり、これは顧客が従来の委託企業に支払っていたギガバイト単位の多額のストレージ料金と比較すると、かなり手頃な料金だった。ウィルソン氏は、このサブスクリプションモデルで、安定したMRRを生み出し、破格の安さによって法律業界への浸透も狙えるだろうと期待していた。

しかしウィルソン氏の期待と裏腹に、Logikcullの価格設定は顧客にあまり受け入れられず、商談が長引いたり、奇妙な失注が目に付くようになった。というのもウィルソン氏が、自社のSalesforceの失注案件を一つひとつ見ていったところ、 明らかに顧客は興味があるのに失注してしまった商談がいくつも見つかったからだ。そこでウィルソン氏は、失注した見込み顧客に自らアンケートや追加インタビューを重ねることで、自社の価格設定が失注や商談の長期化を引き起こしていたことを把握する。顧客らいわく、Logikcullの価格設定では、いくつかの理由で最終的な請求料金がいくらになるかわからず、予測可能性が低いことが最も問題だということだった。
料金の予測可能性を下げていた理由の一つ目に、ドキュメントという単位があげられる。MailChimpの顧客とは異なり、Logikcullの顧客であるエンタープライズ企業の法務や法律事務所は、今どれだけのドキュメントがあり、今後どれだけドキュメントが増加するのか予測することができなかった。データ量であれば、従来の委託企業への発注経験から把握していたものの、ドキュメントという新しい単位には不慣れであり、自社がどれくらいのペースでドキュメントが増えるのかすぐに予測できないため、Logikcullの請求額がいくらになるのか見積もりを難しくしていた。さらに悪いことにLogikcullの機能自体も、保存するドキュメント数の見積もりを難しくしていた。というのもLogikcullのプロダクト価値の一つに、すべてのデータやファイルから重複を排除する機能があるため、顧客はLogikcullを使用して初めて、ドキュメント数とそれに応じた料金が正確にわかる。 多くのエンタープライズ企業にとっては、料金がいくらになるか分からないLogikcullは不安を誘うものであった。また、大手法律事務所でLogikcullを使うケースでは、ツール費用を顧問先企業にそのまま請求するため、Logikcullの最終的な請求料金が分からないと、法律事務所が顧問先に請求する金額を直前まで伝えられないという、気まずい問題を引き起こしていた。

2回目の価格設定:予測可能性を求めて

ウィルソン氏は最初の価格設定とその後の追跡調査によって、顧客が何よりも予測可能性を求めていることを学んだ。課題は、それをビジネスに活かすことだった。

予測可能性という要件を満たし、かつ可能な限り価値と一致するようなモデルを考案する必要があります。しかし、それは必ずしも当初から簡単に予測できるものではありません。
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自社のために予測可能な収益源を生み出すことに固執するのではなく、顧客にとっての予測可能性を生み出すため、ウィルソン氏はドキュメントごとの価格設定から、ユーザー数とギガバイトの組み合わせに基づく価格設定へと価格モデルを変更した。新しいプランでは例えば、法律事務所の5人の弁護士が同時にLogikcullを操作でき、100GBのデータストレージが含まれているプランがある。後にストレージが不足した場合でも、追加のデータ容量は1GBあたりずつ簡単に追加できる。この新しい価格モデルによって顧客は90%の予測可能性を得ることができるようになり、Logikcullを契約するための予算取りが用意になった。同時にLogikcullにとっても、収益が顧客の利用するストレージに大きく左右されることのない構造に変わった。

新しい価格モデルを携えて、それまで1年間古い価格設定で商談を試みていた、ある上場ヘルスケアIT企業のCEOに電話したことを覚えています。訴訟には莫大な費用がかかるため、彼らはかなりの金額を節約できたはずです。しかし、それまで彼はLogikcullを購入しませんでした。しかし私がこの新しい価格モデルを提案したところ、彼は30分で契約し、そのモデルでは初年度に10万ドル近くを請求することになりました。
https://www.logikcull.com/blog/what-drives-discovery-pricing
https://web.archive.org/web/20140726191932/https://www.logikcull.com/pricing

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