Nosto:フィンランドAI SaaSの雄 完全従量課金からの進化
今回分析するのはNostoというフィンランドのSaaS企業。同社は「E-Commerce Personalization Software」という分野にカテゴライズされており、ECサイトへの訪問者により最適化した体験を用意することで、ECサイトがより売上をあげられるように支援するSaaS企業。未公開企業のため正確な収益は分からないものの、およそARR40億と言われており、コロナによってグローバルにEC利用が加速したことで、2024年の売上成長率はYoYで約60%と、創業から13年経った企業とは思えない勢いを見せている。
今回のニュースレターでNostoを対象としたのは、事例が公開されていて中の人の話を読めることももちろんあるが、Nostoが価格設定を完全従量課金から始めた企業というのが大きな理由である。GCPやAWSといったIaaSを別にして、一般的なSaaSはなんらかの基本料金があり、それにプラスしてユーザーライセンスや従量課金がある、という課金体系になることが多い。たしかにKlaviyo、Yotpo、GorgiasといったECを取り巻くSaaS企業では従量課金は珍しくないものの、それでも基本料金がベースに従量課金制があり、完全従量課金で始まったNostoはどちらかというと珍しい部類に入る。Nostoのプライシングを担当したケビン・パイザー氏がどのような苦悩に直面し、どうアプローチを変えていったのか見てみることで、従量課金について考えてみたい。
なお、当記事では特に注釈がない限り、引用は「Price to Scale」8章から行います。
スノーボード販売からのSaaS創業
Nosto創業の経緯は、創業者でかつ初代CEOを務めたユハ・ヴァルヴァンネ氏の一つ目のビジネスに由来する。ヴァルヴァンネ氏はECサイトを支援するコンサルを経た2004年、地元フィンランドで店舗とオンラインの両方を活用した小売企業Dropinを開始する。スノーボードを中心として服やボードを販売するDropinは、ただオンラインで購入できるだけではなく、ECサイトにある商品を店舗で試着や受け取ったりできる、今風に言えばO2O(Online to Offline)であった。2010年にはフィンランドの「ウェブストア・オブ・ザ・イヤー」として表彰されたことからも、Dropinが先進的であったことが伺える。Dropinの成長もあり、当時としてヴァルヴァンネ氏はEC業界の有力人物として注目される。
Dropinが軌道に乗り始めると、ヴァルヴァンネ氏は並行して他のフィンランド地元企業のEC事業を支援していく。しかしEC事業を営む多くの中小企業の悩みを聞くにしたがって、中小企業が簡単に使えるような、EC売上支援のソフトウェアがないことに気づく。例えば当時、大企業がNeolane(現Adobe Campagin)やMarketoを使ってメールのマーケティングオートメーションや商品推奨のレコメンドを最適化することはあったものの、Dropinをはじめとした中小・中堅企業が簡単に導入できるソフトウェアは少なかった。このことに気づいたヴァルヴァンネ氏は、2011年にNostoを創業する。スノーボード販売からのSaaS企業というと、同じく北国出身のECプラットフォームであるShopifyも、創業者がスノーボードをECサイトで売る煩わしさをもとに創業している。似たきっかけで始まった両社だが、創業経緯だけでなくプロダクトをどこに構築するか、というGTM戦略でも交差することになる。
というのも、Nostoは中小企業をターゲットするため、当時中小企業が多く使っていたShopifyを中心に、簡単に導入できるレコメンドエンジンとしてプロダクトを構築している。初期のNostoのLPを見てみると、次のような機能が一推しとして書かれている。
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ECサイト訪問者の閲覧データや購入データに基づいた、サイト内の検索やレコメンドの最適化
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ショッピングカートに入れたものの購入まで至らなかった顧客や、しばらくサイトを再訪していない顧客にメールを送るなど、販売促進のためのパーソナライズされたメールの自動化
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ECサイトのレイアウトを微調整して売上を伸ばしたり、プロモーション・キャンペーンのパフォーマンスをABテスト/分析
Nostoは、一連の機能の中で特に、商品推奨エンジンと呼ばれる、ECサイト内の検索やレコメンドを最適化する機能にフォーカスしていく。商品推奨エンジンというのは例えば、サイト訪問者がECサイトで「手袋」と検索して無かった場合でも、訪問者のデータから好みそうな商品や似たような商品を表示したりと、訪問者が購買に至るようにコンバージョン率の向上を支援をする機能のこと。
しかし、中小企業向けに立ち上がった当初の滑り出しは良かったものの、Nostoの旅路は厳しいものになる。中小企業セグメントで言えば、ユーザーに販促メールを送って購買を促す、という素朴な課題の方が顕在化しやすかったのか、Nostoの得意とする商品推奨エンジンはインバウンド需要は予想以上に大きくならず、Klaviyoのようなマーケティングツールの需要が大きくなっていく。Nosto自身も当時から条件によってメールを自動配信できる機能はもっていたものの、メールマーケティングツールの分野に簡単に方向転換することは難しかった。EC周りのメールマーケティングツールの分野で有名になったSaaS企業といえばKlaviyoだが、KlaviyoにはもともとEC事業者向けに顧客データベースの構築と活用の機能を提供していくなかで、メール配信の要望が多かったため実装した結果、メールマーケティングツールとして人気を得ていった歴史がある。そのため、Klaviyoは他のメール配信サービスと比べても顧客データを蓄積し活用するための機能が充実している。こういった機能はCDP(Customer Data Platform)と呼ばれ、自社でCDPを作ったり維持したりしようとすると莫大なコストがかかるが、Klaviyoを使えば誰しもが低コストで簡易なCDPを持ち、顧客情報に応じた高度なオートメーションが実現できる。そういったプロダクトとしての強みや第一想起を一朝一夕で作ることが難しいなか、すでに商品推奨エンジンに投資して有名になったNostoが思い切ったピボットをすることは重い意思決定だったはず。
またNostoは従量課金を基本とした価格設定だったため、自然と流通金額がより大きなECサイトを運営するような企業、つまりエンタープライズ企業を取りにいく重力がある。逆に流通金額が小さい場合は、Nostoの収益も0に近くなっていく。したがってNostoにかかるアップマーケットの重力は、従来のような一定金額のユーザーライセンスや基本料のサブスクリプションを基本とするSaaS企業よりも明らかに大きくなる。一方で、Nostoは中小企業をターゲットするべくShopifyで使うことを念頭にプロダクト開発を進めていたため、Shopify以外もしくは独自でサイト構築をめざしたエンタープライズ企業は、最初からエンタープライズだけをターゲットしていたInsiderをはじめとした他のECフルスタック企業に占有されてしまう。
Nostoは残されたスペースであるミッドマーケットで戦い続けていたものの、幸いコロナによるEC化が加速した恩恵を受けてNostoの成長率は息を吹き返しつつある。同時に、機械学習やAIによる商品レコメンドというドメインも、ここ2年のLLMの流れでアテンションを取り戻しつつある。13年間もの長い期間、荒波激しいECソフトウェア業界で生き残ってきたNostoだが、今回紹介するNostoのケビン・パイザー氏をはじめ、VP陣の多くは在職期間が長いランナータイプであり、Nostoはこの先も粘り強く戦う企業でありそうだ。
営業責任者パイザー氏の腹痛
さて、Nostoについてざっと理解したところで、今回紹介するケビン・パイザー氏について。同氏は、主にEC支援のソフトウェア企業を軸に、営業畑と事業開発を行き来しながらキャリアを築き、やはりNostoにも営業責任者のトップとして2015年に入社している。これまで主要な自社製品のプライシングに関わることは無かったものの、Nostoでキャリア最長の7年間を過ごし、最終的にVP of Grobal Salesにまで昇進している。NostoのGTM全体を担当する中で、大きなレバーとしてプライシングにも取り組むことになる。
パイザー氏が入社した2015年当時、Nostoの価格設定は、顧客がNostoを使うことによって獲得したECサイト売上の一定割合を請求する、というもので、ペイ・オン・パフォーマンス・モデルと呼ばれていた。例えば、ある訪問ユーザーが、Nostoの商品推奨エンジンをもとに表示した商品をクリックして購入に至った場合、その一部を収益として請求する形になる。他にも、メール配信ツールで、カゴ落ち(カートに入れたものの購入しないこと)した商品をユーザーに再度送って購入した場合は、その購入金額がNostoを使って獲得した売上として数えられる。このモデルは、顧客にとってはNostoを導入しても売上が上がらなければ1円も払う必要がなく、導入リスクがないという点で顧客にとっては素晴らしい価格設定モデルだった。同時に、顧客は導入前に「SaaS企業側が謳う費用対効果が、本当に自社で再現するのか」というリスクを考える必要がなくなるため、できるだけ素早く市場に浸透したいSaaS企業にとってもメリットがある。
当時の価格表を見てみると、Nostoの価格表は以下の通り。Nosto経由の売上が13,000ユーロ(約200万円)までNostoは4%分を料金として請求することになっており、Nosto経由の売上額のボリュームが増えるにつれて、手数料率が低くなるようになっている。
しかし、MRR目標に責任をもつパイザー氏から見て、このモデルには大きく二つのデメリットがあった。
1つがNostoにとって、売上の予測可能性が低くなってしまったことだ。
この価格設定によって、私たちNostoは素早く市場に浸透し、大きく成長することができました。しかし同時に、収益がどれくらいになるのかが予測できないことは、成長企業である私たちにとってリスクとなりました。ある顧客の業績が突然悪化し、売上が伸びないということもあり得ます。あるいは他の顧客のECサイトが季節性によって売上が大きく伸びることもあります。もし顧客がNostoのレコメンド機能をサイトから取り下げてしまったら、私たちの収益は完全に0になります。顧客にとってはリスクはありませんが、実は我々にとっては非常にリスキーなことだったのです。
Nostoの価格設定は完全従量課金であるため、顧客のEC事業全体の成長や季節性に大きく影響される。また顧客が使うのをやめれば、いきなり収益は0に落ちてしまう。季節性も様々で、大型連休などEC業界全体に影響する季節性もあれば、ECサイトで販売している商品自体がもつ季節性(例えば電気ストーブは秋から冬など)もある。Amazonのセラーと呼ばれる出品者たちの掲示板を見れば、いかに月次で堅調に売上を維持するのが難しいかがよく分かる。Nostoとしては、売上目標が未達になるリスクがどれくらいあるのか予測が難しく、また実際に未達になったり、はたまた大幅超過したときも、何が原因かという説明も同様に難しい。毎週、事業計画に対しての着地予想を報告する立場にあったパイザー氏としては、胃が痛い問題だったのではないだろうか。
2つ目のデメリットとして、顧客の成長とNostoの収益が、完全に連動しないことだ。Nostoの価格設定は完全従量課金であるため、一見Nosto経由の顧客売上が増加すれば、Nostoの収益も比例するように見える。しかし実際にグラフにしてみると、あるボリュームから一つ上のボリュームに切り替わるタイミングで、Nostoが設定している料率が変わるために収益額が下がってしまう。顧客がNostoの機能を使い倒したり、顧客のEC事業自体が大きく成長したり、またはNostoがレコメンド精度を改善することで、Nosto経由の売上が増えたとしても、料率が変わるボリュームに差し掛かれば、Nostoの収益は減ってしまう。このような現象は、グラフがのこぎりの刃のように見えることから、のこぎり問題と呼ばれており、Nosto全体の収益を予測しにくくする原因になっていた。

完全従量課金からの脱出
Nostoは完全従量課金制がもつ抜群な市場浸透性にかけて、収益の予測可能性の低さに悩まされながらも価格設定を変えずにきたが、2018年、ついに変更に踏み切る。そのきっかけは、これまでの価格設定に当てはまらない新機能のリリースだった。それまで同社は、サイト内のレコメンド最適化、販促ポップアップ、トリガーメールなど、どれもサイト訪問者を新規購入につながるようなプロダクトであり、かつNosto経由で購入に至った売上が明確に分かるような機能だった。しかし2018年にリリースした「コンテンツ最適化(Onsite Content Personalization)」は異なった。この機能は、サイト訪問者のデータに合わせて表示するコンテンツを変えるもので、広義ではEC事業の売上支援というドメインであり同じだったものの、EC事業者としてはサイト全体をNostoに預ける形になったため、どれくらいがNostoを導入したことによる売上増加分か明確に定義することが難しくなった。また同機能は、サイトとNostoをある程度統合する必要があったため、そうした作業を行い、機能を使うようなインセンティブを顧客に与える必要があった。
そこでパイザー氏は、Nosto経由の顧客売上ではなく、顧客のEC売上全体に応じた月額固定料金に転換することを試みた。顧客の年間売上高と価格帯の対応表を作り、"売上高がX~Yの顧客は、平均してA~Bを当社に支払うことになる "といった具合に価格表を作成した。正確には、「使う機能数 × 顧客の年間売上高」で価格帯の対応表を作成している。
この分野の多くのベンダーはNostoと同様にライセンス料を請求していますが、多くはサイトのトラフィックレベルに基づいています。私たちは、クライアントの収益を主な価値指標とすることに決めました。なぜなら、収益こそが、私たちがクライアントとともに成長することを実感できる最高の指標だからです。クライアントが成長すれば、私たちも成長します。すべての製品を決まったプランで提供する固定モデル。それが、私たちの主な進化でした。
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- 新価格設定とセールスイネーブルメント
- まとめに代えて:やっぱり必要なのはコッカラッスな精神
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