百戦錬磨のヤン・パスターナック氏 :GoToMeeting編

GoToMeeting、Zoom、Docusignの価格に関わった同氏の経験談 第一回
Yushi Sawa / poe 2024.11.05
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今週から3回に分けて紹介するのは、ヤン・パスターナック氏。同氏はGoToMeeting、Zoom、Docusign、Microsoft、LinkedIn、Coupangと、SaaSに限らず転職したIT企業でプライシング責任者となって課題を解決し続けてきたスペシャリスト。企業の置かれている状況を俯瞰して、異なる課題に直面している企業それぞれで経験を積んできた同氏のキャリアのうち、3社がSaaS企業でインタビューが公開されている。今週から3週に分けて、同氏が各企業で直面した課題と、それに対してどうアプローチしていったのか見ていきたい。

今回取り上げるのはヤン氏がGoToMeetingを担当した時のエピソードだ。GoToMeetingは至ってシンプルなビデオ会議のツールであるが、ヤン氏が在籍していた当時年間売上は約6億ドルと大きな売上を誇っていた。エンタープライズ顧客の開拓も順調、すでに大きな売上をもっており売上からの再投資の余裕もありそうなGoToMeetingだったが、その実、コア機能が急速にコモディティ化するという深刻な危機に陥っていた。そんな折に入社したヤン氏が、危機に対してどのように挑んだのか見ていきたい。

四面楚歌のミーティング機能

GoToMeetingの歴史は古い。開発元のExpertcityは1997年に創業し、GoToMeetingの前進となるサービス「DesktopStreaming」を開発する。HPのデザインは時代を感じさせるものだが、顧客事例に、創業期のSalesforceが仮想敵としてネイティブキャンペーンを打っていた相手であるSIEBELや、サン・マイクロシステムズが記載されているところから、20世紀末のインターネット業界の様相を感じる。

Expertcityは、Windows向けのリモートアクセスを提供していたCitrixに342億円で売却され、GoToMeetingは同社初のクラウド製品としてラインナップに加わることになる。同製品はCitrixの顧客基盤と営業部隊によって順調に売上を積み上げていくが、競争の激しいアメリカでそのままであるはずがなく、2010年ごろから状況が変わってくる。コア機能を無料で提供する競合が現れたのだ。

もともとExpertcityが提供していたもう1つの製品である、リモートでPCを操作できる「GoToPC」には、3am Labs(『夜中の3時まで働くスタートアップ』という同社の名前には強烈なコッカラッスを感じる)という競合がおり、Expertcityの戦略的なミスによって顧客の15%を3am Labsに取られてしまう。当時「GoToPC」は1人のユーザーが自分の仕事用のコンピューターにインターネット経由でアクセスできるようにすることを目的としていたものの、一部の顧客は自社の複数あるサーバーを監視・管理する目的で利用していた。Expertcityは自社の集中力を保つために、このユースケースに最適化した製品を作らない、という意思決定をして、3am Labsはこの市場を占有してしまう。さらに3am Labsは2010年に、GoToMeetingの無料の代替製品であるjoin.meをリリースし、GoToMeetingをはじめとしたオンライン会議SaaSがプレミアム価格を課すことを著しく難しくさせた。

余談ではあるが、筆者がインサイドセールスとして電話をかけていた2015年あたりは、このjoin.meを使って顧客にデモをしていたこともあって、join.meはとても懐かしい。顧客との1対1のデモ通話ぐらいであれば、無料で使い倒せてしまうのがjoin.meの破壊的なところであり、10回に1回くらいは「このjoin.meのほうが欲しい」と顧客に言われ、思わず苦笑していた。

さて、2010年以降、join.meだけではなく、大手IT企業もビデオ会議ツールを無料で提供し始める。2011年には消費者向けで広く使われていたSkypeをMicrosfotが買収し、ビジネス向けとして「Skype for Business」を開始。2013年にはGoogleが「G suite(現Google Workspace)」にビデオ会議ツール「Google Hangout」をバンドルして提供。ビデオ会議ツールに特化した独立企業だけではなく、大手IT企業が参戦したことで、競争は一気に激化する。Citrixは完全に負けきる前に売却した方がよいと見て、2015年にGoToMeetingを分社化、join.meを提供する3am Labs(当時はLogMeInに社名変更)に売却することになる。

GoToMeetingは、コア機能である画面共有とインターネット電話が、競合他社によって非常に安いプラン、もしくは無料で提供されるというコモディティ化に遭遇。5年というかなり短い期間で戦いの幕が閉じる。この、早いペースでのコモディティ化という事態への対応、というのが、今回紹介する価格改定のテーマである。

コモディティ製品の機能を整理整頓

さて、今回紹介するヤン氏がGoToMeetingに関わるのは、2014年から2018年。まさしくGoToMeetingの戦いの末期から、競合であったjoin.meに売却され料金を再整理するまで在籍していたことになる。ヤン氏について簡単に紹介すると、同氏はオックスフォード大学でソフトウェアエンジニアリングを学んだあと、卒業後は本場サンフランシスコに移り住んでMicrosoftに入社し、約5年間ビジネス周りの分析と価格設定のキャリアを積み上げる。さらに3年間、LinkedInでスタートアップのカオスに揉まれながら、プライシングを担当して、2014年にCitrixに転職。GoToMeetingをはじめとしたクラウド製品のプライシング責任者となる。

次に、2014年、ヤン氏の入社した当時のGoToMeetingとjoin.meの価格表を見比べてみよう。上がGoToMeetingで、下がjoinmeだ。

2014年 GoToMeeting

2014年 GoToMeeting


2014年 join.me

2014年 join.me

join.meはビデオ会議ツールのコア機能である「画面共有」と「通話」を無料のベーシックプランに落としており、最上位プランの価格($19)さえも、GoToMeetingは最低価格を更に下回るように設定しており、徹底した価格破壊を意図していることがよく分かる。ヤン氏はMicrosoftでの経験と調査から、どれくらいのスピードでビデオ会議機能がコモディティ化しているか把握していた。

私は以前、GoToMeetingやZoomといったビデオ会議ツールの分野に長く携わっていました。なので、誇張しているわけではありませんが、この分野のコモディティ化のスピードは非常に速かったと思います。年間12から15%のペースでコモディティ化が進んだと言われています。つまり現在100ドルの製品でも、来年には85ドルの価値しかないということです。

その上で、ヤン氏はGoToMeetingでやるべきことは、製品に内包されている機能が、プレミアムなのかコモディティなのか見直してパッケージを再構成することが必要だと方針付けた。コモディティ化した機能には見切りをつけてすべてのプランでデフォルトにすることで、しっかりと顧客を引き付けられるようにすること。また、別のプレミアムな機能を特定して、マネタイズを進めることに振り切ったのだ。

これまでのコア機能がコモディティ化された場合、企業は、製品のラインナップを再調整する必要があります。競争力を維持できるように、もはやプレミアムではないコア機能は、非常に低価格で提供する必要があります。重要なのはプレミアム要素に焦点を絞り、その要素で収益を上げる方法を考えることです。ビデオ会議、パスワード管理、シングルサインオンなど、特定の機能に特化している企業は、おそらく、Google、Microsoftなどといった他企業が提供していない、より高度なプレミアム機能を持っているでしょう。GoToMeetingのようなコモディティ化しつつある製品にとっての目標は、基本的な機能性のみに興味を持つ大衆を惹きつけるために、製品ラインナップのいずれにもコア機能を入れることです。同時に、高度でプレミアムな機能で、ある程度の割合(5%または7%)の顧客をマネタイズすることです。

より引いた目線で言えば、ヤン氏によればすべての機能は、いずれにせよビデオ会議機能のように、コモディティ化すると言う。ビデオ会議機能は、5年間という短い期間でコモディティ化してしまったため、これだけが特別かのように見えるが、どの機能も長い目線で見れば、コモディティ化するため、そういった事態になったときにいかに侵食されるのをコントロールできるかがプライシング責任者の腕の見せ所だと言う。たしかに、例えば日程調整SaaSは今まさしくコモディティ化していると言えるかもしれない。Calendlyが登場して以降、日程調整SaaSは雨後の筍のごとく新しいサービスが登場しているが、最近ではGoogle Calenderをはじめとしたカレンダーアプリではデフォルトで日程調整機能がついていて、無料で提供されている(Google CalenderAmieNotion Caleder)。前々回紹介したChili Piperは、日程調整SaaSの低価格の重力から抜け出せるように、ビデオ通話など他のプレミアム機能に焦点をずらしたことで、日程調整機能のコモディティ化に巻き込まれずに済んでいる。

そうした前提の上で、GoToMeetingの場合、パッケージを整理するにあたっての目的は、収益を維持や向上ではなかった。収益の減少は前提として、いかに減少幅を少なくするか、極力被害を抑えた撤退戦をどう行うかだった。

製品のコモディティ化という状況は、プロダクトチームにとってもCFOにとっても、乗り越えるのは難しいことです。なぜ積極的に価格を下げる必要があるのか、理解していない人はいないものの、実施するのは極めて難しいからです。能動的に値下げすることは、直感的には逆効果のように聞こえますよね?しかし、こうした状況下では私たちはそれをコントロールしながら行う必要がありました。そうでなければ、市場が勝手にやってしまうからです

正直なところ、価格改定に際して「極力被害を抑えた撤退戦」という目的を、事業責任者たちと握れたことがヤン氏の最初にして最も大きな功績ではないかと思う。価格改定に際しては目的を正しく明確に置いて、それに合意を取り付けることが肝要になる。その上で、収益が下がることが避けられないことを飲み込んでもらうのはSaaS企業限らず、どの企業においても簡単にできることではない。

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