米SaaS企業 Gainsightを成功に導いたミッドマーケット向け価格戦略

ジョニー・チェン(Head of Pricing)が試みた2つのアプローチについての解説と考察
Yushi Sawa / poe 2024.09.17
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2013年旧JBara softwareは社名を変えて、Gainsightとして再スタートを切った。その7年後である2020年、GainsightはPEファンドであるVistaに$1.1B(≒1,540億円)で買収された
SalesforceがSaaSという概念を広めてきたように、Gainsightはカスタマーサクセスの概念を広めてきた企業であり、いつか調べたいとずっと気になっていた企業の一つでした。今回、SaaSの価格設定をテーマにした本「Price to Scale」の著者から許可をもらえたため、同著に掲載されていたジョニー・チェン氏が主導したGainsightの価格改定について解説及び考察を書こうと思います。

なお、当記事では特に注釈がない限り、引用は「Price to Scale」8章から行います。

歌って踊れる伝道師ニック・メータ

現在Gainsightは上場企業700社、全体で2万社以上の顧客を抱えており、2020年にはARR1億ドル(約150億円)を達成している。評価額が10億ドルの未上場企業を稀有な存在として「ユニコーン企業」という単語があるが、最近ではより希少性の高い企業として評価額が10億ドル超、かつARR1億ドルの未上場企業を「ケンタウロス企業」と言われている。その定義から言えば、Gainsightは立派なケンタウロスと言える。

Gainsightの軌跡を説明するにあたって欠かせないのが、現CEOのニック・メータ氏である。実はGainsightはもともと2011年にJBara softwareという社名で設立された会社であり、メータ氏は設立2年後の2013年にCEOとして入社して、社名をGainsightに変更している。

2013年 社名がJBara Softwareだった当時のLP

2013年 社名がJBara Softwareだった当時のLP

メータ氏へのCEO交代は、当時Gainsightが抱えていた課題を暗示している。2013年当時、SaaS企業は増加していたものの、Gainsightにとって理想的なターゲットである中規模のSaaS企業はまだまだ少なく、「Customer Success」の検索ボリュームは現在の7%と、見込み顧客数・関心度合いともに心細い状況にあった。メータ氏のCEO就任は、SaaS企業にカスタマーサクセスの必要性を理解させ、部門を作ってマネージャーや従業員を雇わせた上で自社のSaaSを売る、というGainsightの抱えていた難易度の高い課題に取り組むにあたって行われたと思っていいだろう。

そんなメータ氏のキャリアを一言で表すならば”クラウド伝道師”。Gainsight入社の前年までLiveOfficeというエンタープライズ向けSaaSのCEOを務め、2009年というSaaS黎明期にも関わらず、エンタープライズ企業にクラウド移行を説いて回り、メールアーカイブ市場を切り開いている。メータ氏は長年シマンテックのエンタープライズ部門幹部だったこともあり、まさにGainsightにぴったりな人材だったと言える。

現にGainsightはその後「カスタマーサクセス」という概念を説いて回ることになる。CEO就任直後には早速、のちに事実上の業界公式カンファレンスとなるカスタマーサクセスに向けたPulseを開催している(当時の従業員数17名)。また、CEOが出版したカスタマーサクセス本は、「青本」と呼ばれて業界でのバイブル的な本になっている。また突飛なところでは、顧客CEOを助手席に招いてメータ氏が自ら運転するカスタマー・カープール・カラオケ、Churn(解約)を主人公とした絵本の刊行など、固い施策から遊び心溢れる施策まで、あらゆる手を使ってカスタマーサクセスの市場を広げようという意思が垣間見える。多才な人物を「歌って踊れる」と形容するが、実際に顧客と歌っているCEOはメータ氏ぐらいなのではないだろうか。
こうした諸々の活動の結果、現在Gainsightは1.3万人のCCOをはじめとするコミュニティを擁しており、メータ氏は伝道の旅を成功させたと言っていいだろう。

カスタマー・カープール・カラオケ 左からDocuSign CEO 歌うニック・メータ氏

カスタマー・カープール・カラオケ 左からDocuSign CEO 歌うニック・メータ氏

Marketo出身の錬金術師

さて、そんなGainsightだが、価格設定を主導したジョニー・チェン氏とはどんな人物であろうか。

チェン氏はカルフォルニア大学数学専攻を卒業後、営業からキャリアをスタートするもすぐにMBAを取得。数学のバックグラウンドを活かしたマーケティング分析で頭角を現し、EgnyteというSaaS企業でプライシングとPMMに約3年間従事して、Marketoで初めてプライシングマネージャー(Head of Pricing & Packaging)という肩書を得て約3年勤めている。Marketoでは、新製品であるMarketo for Mobileの価格設計の他に、従量課金の対象をメール送信数から接触リード数に変えるという、SaaS企業においてかなり大規模な価格変更を主導している。Marketoが変更から10年近くたった今でも同じ指標を使っているところを見ると、この変更はうまくフィットしたのではないかと思う。ちなみにチェン氏は現在Gainsightを離れ、購買調達SaaSのCoupaを経て、打倒Jiraを掲げるプロジェクト管理SaaSのClickUpに転職しており、いずれもプライシング責任者として活躍している。

ジョニー・チェン氏

ジョニー・チェン氏

話を2017年に戻すと、チェン氏はGainsightにHead of Pricingとして入社して、同社が抱えていたMidmarket市場の課題へと向き合うことになる。

SaaS企業は中堅規模まで拡大すると、カスタマー・サクセス部門を構築し始め、顧客とのやり取りやワークフローを自動化するための予算や人員を持ち始める。エンタープライズ企業は顧客単価も大きくなるが、業務プロセスが確立してシステムもしっかり導入されているため簡単ではない。その点、比較的最近設立されて成長した新興SaaSが多いMidmarketであれば、業務プロセスがまだ柔らかく、システム導入の余地もあって入り込みやすい。したがって、Gainsightと当時最も相性がよかったのはMidmarketだったが、同時に十分にマネタイズできていなかったのもMidmarketだった。当時Gainsightは、プランごとに機能で差分をつけるfeature-based pricing modelを採用しており、Good-Better-Bestの3プランを提供していた。しかし実際に売れていたのは中間プランばかりで、最上位プランはあまり売れなかった上、売れたとしてもディスカウントによってASP(平均販売価格)は中間プランと同程度になっていた。しかも、最上位プラン特有の機能は使われないことが多く、ダウングレードを繰り返していた。一言で言えば、Gainsightの価格体系は機能不全に陥っていたと言える。

Gainsightは、極めてカスタム性の高いものでした。企業によってカスタマーサクセスのやり方は違いますし、クライアントが違えばそれぞれ異なるプラットフォームが必要です。カスタマーサクセスでは、マーケティングオートメーションと違い、ツールの使用用途が明確に定義されているわけでも、セオリーがあるわけでもありませんでした。それに加えてカスタマーサクセスという業界では、クライアントそれぞれが自分自身の見解と頭脳を持っていました。それゆえにGood-Better-Bestというアプローチは、実際うまくいっていなかったのだと思います。

Gainsightが抱えている問題に対して、チェン氏は「モジュール式パッケージへの移行」と「バリューメトリックの再設定」という2つのアプローチで解決を試みている。一つひとつ見てみよう。

Gainsightのレゴブロック化

チェン氏はまず、Gainsightを機能がプランごとに固定されたGood-Better-Bestモデルからモジュール式パッケージへと移行することにした。モジュール式とは、簡単に言えばGainsightをレゴのピースのようなソリューションに分けて、営業担当者が商談によって好きなように組み立てることができるようにすることだ。

モジュールを開発するにあたって、チェン氏は5つのステップを用いている。

①機能のリストアップ:プロダクトの全ての機能をリストアップする
②グループ化:ユーザーセグメントが一般的に一緒に使用する機能セットをグループ化する
③テスト:いくつかの機能をまとめて1つになったモジュールができあがると、そのモジュールがそのセグメントの使い方に合っているか過去データと照らし合わせたり、リサーチをかけることでテストしする
④再整理:テストと同時に、モジュールを構成する機能がMECEであるかも確認し、テスト結果をもとにモジュールを修正する
⑤カテゴライズ:レンズテストをもとにモジュールをカテゴライズする

ステップ⑤でチェン氏が提案しているレンズテストは非常に面白いので、同氏のPodcastをもとに補足しようと思う。簡単に言うとレンズテストは、価値・差別化・洗練度の3つの基準でモジュールを評価する手法で、モジュールをどうパッケージするか判断するのに役立つ。

1番目のレンズは価値。ターゲット市場にとってそのモジュールの価値が低いのか、中程度なのか、高いのかを判断する。

2番目のレンズは差別化。このモジュールは競合に対してどの程度差別化されているか、という観点である。かなり差別化されているのか?それともほぼ全ての競合がその機能を持っていて、ほとんど差別化されていないのか。

そして3番目のレンズは、洗練度と呼ばれる観点で、そのモジュールを使うのにユーザーが洗練されている必要があるかどうか判断する。これは「価値を理解するハードル」とも言い換えられる。例えば、プロダクトを使い始めたばかりのユーザーにとって、プロダクト内にデータはまだ溜まっていないためアナリティクスやプロダクト間の連携機能、といったモジュールの価値は実感しにくい。逆に、習熟したユーザーであれば、すぐ価値を理解できて、場合によっては高い支払いも厭わないかもしれない。それが洗練度(価値を理解するハードル)の高低であり、この視点をもつと、価値が高い機能であっても、洗練度が高い(=価値を理解するハードルが高く)一部の習熟したユーザーにしか価値を見出されないモジュールは、基本パッケージではなく、カスタマージャーニーの後期で売るオプションや最上位プランへ入れるべき、と判断できる。

チェン氏はこれまで関わった企業すべてでこのレンズテストを実施したと述べているが、Gainsightでもレンズテストを行うことで、パッケージを作る上での判断材料としている。

基本的に、私はすべてのモジュールについてレンズテストを実行しますが、そうすると巨大なマトリックスができあがり、パッケージングを決定するのに役立つパターンが見えてきます。非常に価値が高く、非常に差別化されていて、洗練度が低い(=価値を理解するハードルが低い)モジュールがあれば、それが稼ぎ頭であり、大きく宣伝するべきモジュールです。おそらくLPの価格表でのフォントサイズを42にして書くことになると思います。一方で、非常に価値が高く、非常に差別化されていて、洗練度が高い(=価値を理解するハードルが高い)モジュール。これは、オプションや最高のパッケージのために残しておきたいものです。アップグレードパスを提供することで、顧客が製品を使い始めて本当に気に入り、その製品にのめり込み、より成熟してきたときに、その1つの機能の価値がわかるようになり、アップグレードに向かわせることができます。
https://impactpricing.com/podcast/410-the-secret-to-selling-solutions-not-just-product-features-with-johnny-cheng/

脱ユーザーライセンス依存

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続きは、4559文字あります。
  • 進化する価格表
  • プライシングにおける聖杯
  • まとめに代えて:兵站の重要性
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